ツナガルワタシーヒビノキロクー

ファミリーコンステレーションと禅タロットの学び、パン作りやさをり織りのものづくりの日々

3月1日、母の誕生日に寄せて

コンステレーションを続けてきてよかったと思うことが最近起きた。

 

母は、現在認知症がかなり進んで、近くの精神科の認知症病棟で入院している。
3月1日は母の誕生日、今年は88歳、米寿なのだ。

 

コロナが大流行中の現在、お見舞いってか面会もままならないんだけど、今日は面会に行くことができた。

最近はほぼ会話も成立しないので、ほんとに顔見て帰るだけなのだ。

ふと「今日はなんの日か知ってる?誕生日やで」と伝えてみた。

「今日は3月1日やな」と最近にはないくらいキッパリとした返事が返ってきて、妙に嬉しくなる。

 

うちの母の口癖は「私ばっかり損をしている」だった。

母の兄弟は10人(正確には11人何だが)兄弟姉妹で、母は三女(正確には四女)。

母曰く、兄弟のお世話から祖父母の手伝いから、全部が乗っかってきて私には自由がなかった。兄弟の中で一番世話をしてきた、なのだ。

小さい頃からそれをずっと聞かされてきて、幼い頃は当たり前のようにそれを信じていたが、私がの経験や、叔父叔母の話を聞くと、実際はそうでもなかったと思う。

 

今思うと、大家族、世の中の不安定さ、生まれ育った時代、そういうものが母をなおのこと不安定にしていたのだろう。

その中で、祖父母(母から見た両親)に認めてもらいたい、愛してもらいたい、という欲求で、自分のことより自分の家族のことより、兄弟祖父母を優先してきたのだろう。

 

認知症が進んだ現在、母の口から出てくるのは、自分が育った家の話(といっても、○○学区という単語だけ)と私と弟の名前をセットにした単語くらいで、両手で数えられるくらいの言葉しか出てこない。

そして、いつも不安そうだし、誰かに依存したい(てか構ってほしい)という様子を見せてるらしいのだ。

その不安は、母自身が満たされない想いが多すぎることによる不安なんだろう。

 

そんな状態ではあるものの、かろうじて、私のことは理解してくれてるので、それだけで実は幸せなんだけどね。

その母が、3月1日を覚えていてくれたのが、私にはとても嬉しかった。

 

認知症初期には、母の依存が苦しかった。

その時に気づいたのだけど、母は「周りに認めてほし」いという気持ちが強かったためか、昔から「周り」の代わりに私に依存しようとしていた。

一方で、私もその期待に応えようとして、「親孝行で母を守る理想の私」を演じていたのだ。それが私には大きすぎる負担だった。

母はもしかしたら、自分と自分の親兄弟以外には関心がなかったのかもしれない、というか、その人たちに認められることが一番の生きがいだったのかもしれない。

 

私はその役割を求められ、無意識に応えようとしていたことで、私自身を生きづらくしていたと、心のことを学び、コンステレーションを経験してきた現在では感じている。

 

現在は、たとえ会話が出なくても、母の顔を見ると落ち着くし、たとえ認知症からくる不安があっても、その時のベストだったらそれで良いやん、って思う。

いろんな専門家の手を借りながらの介護だからこそ、こんな呑気に「良いやん」って思えるのではあるんだけどね。

それでも、「何かできることはないか」と模索もしてしまうんだけどね。

 

もし、私がまだ母の期待に応えようとしていたままだったら、私はこんな素直に「それで良いやん」って思えただろうか。

 

私がコンステレーションと出会って一番よかった、と感じるのは、母の期待に応えること(祖父母の代わりに母の依存に応えること)をやめて、自分の道を歩き出せたことなのだ。

そして、素直にどんな状態の母でも私の大好きなお母さんだと心から感じられることだ。

 

お母さん、お誕生日おめでとう。

もう一緒にお墓参りも行けなくなったけど、おじいちゃんおばあちゃんには、私が挨拶行っとくから安心しといてね。

 

母の記念日に、私と母を親子として繋げてくれたコンステレーションの勉強会のお知らせです。

この3月15日に、京都市国際交流会館にて開催します。

お申し込み、詳細は以下のリンクから

 

www.kokuchpro.com