ツナガルワタシーヒビノキロクー

ファミリーコンステレーションと禅タロットの学び、パン作りやさをり織りのものづくりの日々

お彼岸に思う

お彼岸

お墓参りとともに、
田舎の家の片づけに行った。

亡くなった義理の母の荷物が
一部残っているので、それも整理したくて。

あるきんちゃく袋に目が留まる。
あれ?これ、貴重品でも入ってるのかしらね。

開けてみた。

入っていたのは曹洞宗梅花講の用具一式。
特養にもっていってたはずの荷物にあった。

 

■梅花講とは (寺院における信仰活動)

それぞれの寺院で、唱える楽しさを中心に、正しい信仰を学ぶところです。正しい信仰は教典と指導者から得られ、お仲間との語らいの中で生まれます。お寺に集まってたくさんの人達といっしょに詠讃歌を学び、お互いの幸せを願います。苦しみや悩みはみんなで癒して励まし合いながら、仲良く楽しい人生を実感できます。現在、約6千2百の梅花講があります。

曹洞宗のHPより)

村の中で、こういうグループ(お講と聞いていた)があり、
皆さんで集まる会があった、というのは聞いていた。 

義理の母は、日々熱心にお経を唱え、
お仏壇に食事を整え、
お地蔵さんに花を供えていた。

特養に行ってそれらはかなわなくなったが、
信心はきっとそのままだったに違いない。

キッツい人ではあったが、信心深い人だった。
この徳で、私たちも見守られ
幸せに生きているのだということを
お道具一式に教えられたような気がした。

わたししはまだまだ足元にも及ばない。
御詠歌も、法事やお盆には唱えるが、
普段は田舎の家に行ったときに
お花とお菓子とお茶を供えてご挨拶程度になっている。

わたしは私のサイズでできることを
これからもやっていくのみだけど、
信仰心は決して忘れてはいけないものだと
教えてくれる人が身近にいてよかったし
それはもしかしたら大変幸せなことなんだろう。

ちなみに、梅花講の御詠歌ってこんな感じらしい