ツナガルワタシーヒビノキロクー

ファミリーコンステレーションと禅タロットの学び、パン作りやさをり織りのものづくりの日々

家族の絆、土地の絆(1枚の自分史プロジェクト)

私は滋賀県生まれの滋賀県育ちである。
旦那の転勤で6年間、島根県出雲市に行った以外はほとんどを滋賀で過ごしている。

昔から、日本海側がなんとなく好きで、太平洋や瀬戸内海よりも日本海が落ち着くのだ。

ところで、Facebookで母方祖母の出身が福井方面だった、という投稿をした。

 

それを見た年下のいとこ二人がコメントをくれた。
いとこたちは母方祖母が福井の出身だと知らなかった、と。

そのうちの一人が、自分の父親(私からみたら叔父)にそのことを聞いてくれ、コメントを返してくれた。

 

それによると、

「祖母の父(私から見たひいおじいさん)は福井武生の庄屋の息子で、親の言うことを聞かなかったか何かの理由で勘当されたそう。

叔父は50数年前にその家を訪ねたが、昭和になったその時でさえ、ご当主は昔の庄屋のおやじさん然としたひとだった。

祖母は、その祖母にかわいがってもらっていたということらしいので、小さい時に武生にいたと思う。

祖母がいつ京都に出てきたのかは聞きそびれたけど、叔父が子どものころは、鯖江に住む祖母の親せきが遊びに来ていたよ」

ということだそう。

 

50数年前、それは日本が高度成長期の真っただ中で、人口が一億人を超し、カラーテレビ、車(カー)、クーラーが新三種の神器といわれた時代。

 

叔父のその話で思い出したのだ。

おそらく私もそこに、叔父叔母とともに訪問していたことを。

私がたぶん3歳ごろの夏、その時の1枚がこの写真である。

向かって右に写っているのが、幼いころのわたしだ。

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祖母の生家である武生の家は、叔父が言う通り豪邸だったのだろう。。何せ元庄屋の家屋なのだから。

祖母の生家とはいえ、ほとんど会ったことがない遠い親戚、人見知りのわたしは、おそらくとてもとても緊張していたのだ。その時の写真を見ると、初めは硬くまじめな表情で、今見ても「緊張してます!」という空気が伝わってくる。

 

その家には「ゆめちゃん」という名の女の子がいた。私より少し年上だったかなぁ。

何枚かの写真を見ると、すっかり打ち解けて、おもちゃのギターを弾きながら歌ったりしている笑顔のわたしたちがいる。

幼いわたしは、そこがどこかもわからずに、その時できた小さいお友達と楽しいひと時を過ごしていた。

写っている縁側のわたしたち、ちょっと湿った木のにおい、草のにおい、土のにおい、蚊取り線香のにおいを、今もリアルに感じる。

 

この時の写真を眺めていると、そこにいる叔母やいとこたちは、とてもいい笑顔で写っている。みんなで出かける遠方への旅、こんな大勢で出かけることもあまりなかっただろうし、心の底から楽しんでいたのだろう。

 

ところで、わたしは現在、田舎の家のヨメとして家を守っているのだけれど、田舎の家は、いつ大人数のお客さんが来ても、大丈夫なようになっている。

食器の数、布団の数、調理器具の数、たぶん20人くらいは普通に食事をして泊まることができるくらいの品々が当たり前のようにそろっている。

うちの婚家のような普通の農家の家でさえそうなのだから、元庄屋さんなら、なおのこと、それ以上の家財道具はそろっていただろうし、大勢のお客さんをもてなすことにも慣れておられたことは容易に想像がつく。

 

大人数で訪問したにもかかわらず、皆が笑顔になれるほど暖かく迎えてもらい、楽しい時を過ごすことができていたことを、その時の数枚の写真は伝えてくれている。

叔父さんのコメントにもあるように、今思えば、祖母はその家で本当に大切に育てられていたのだろう。

 

私の記憶の中の祖母は、とてものんびりした人で、ゆっくりゆっくり話す人だった。

母曰く、家事があまり得意ではなく、母の姉たちと家事や下の兄弟の世話を分担していた、とのことで、母にとっての祖母は手のかかる母親という印象だったようで、たまに愚痴を聞かされていたこともある。

祖母のそののんびりさは、この田舎の家で大切にゆっくり育てられた結果なのかもしれない。そう思うと、母から聞かされた愚痴も「ふふっ」と笑えて来る。

 

自分が投げたちょっとした投稿から、祖母のルーツ、自分のを知ることとなった。
そして、同時に思い出したのは、わたしは祖母が大好きだった、ということ。

日常に紛れてるとつい忘れがちだが、ほっとした一瞬に、祖母の顔を思い出すことがある

 

お彼岸には間に合わなかったけれど、天気のいい日に母とともに、祖母のお墓参りしようかな。
おばあちゃん、おかげでわたし元気だよ。
今、福井の人と共に、家族のきずなを取り戻すワークの仕事をしているよ。

 

家族の絆、土地の絆、そんなことを思い出させてくれたこの1枚だった。

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今回、この記事を書いたのは、友人の藤原優子さんが手がけられている「100人と書く1枚の自分史」プロジェクトに参加させてもらったのがきっかけです。

2020年の秋からスタートされて、Amazon kindleですでに4号まで出版されています。

 

↓100人と書く1枚の自分史はこちら

peraichi.com

 

自分史=リタイヤした人が過去を思い出して書くもの、と思われがちです。

が、彼女は、過去の自分や家族のかかわりを思い出し、整理し、それをこれからの人生につなげていくためのもの、という位置づけに「自分史」を置いています。

1枚の写真を見ながら、質問に答えてることで、自分史が書きあがっていく、それはとても豊かな時間です。

その豊かさや楽しさをいろんな方に味わっていただきたいと思っています。

今回、この記事を書くために、投稿の写真以外にもいくつもの写真をみることになり、それもまた、振り返りのきっかけになりました。

改めて、優子りんに感謝いたします。