眼がくつろぐということ
若いころ、仕事で双眼顕微鏡を使うことがよくあった。
本来、双眼でモノを見ると、像が一つになるはずなんだが、私の場合、いつも集合のベン図のように見えるのだ。
最初は顕微鏡の故障かと思っていた。
が、会社の健康診断で「それは目のせい」ということを知る。
その時にたぶん「斜位」と言われていたのだ。
まぁ日常生活に不便はないし、すっかり忘れたまま数十年。
今から5~6年前のこと、なぜか突然気づいたのだ。
朝、眠りから覚めて、天井の電灯をみると、なんと電灯が二つある。
そういえば寝室の扉も二つに見える。
一瞬焦って、年齢も年齢だし、気になってお医者様に行った。
笑えるんだが、その時は多少脳の異常を疑ってもいたのだ。
数回にわたる検査の結果、斜視か斜位という診断を受け、その時初めて眼鏡にプリズムフィルターというものを付けた。
像が一つに見える!と感動も束の間、ゆっくりと悪くなったようで、1年ほどするとまた像が二つに見え始めた。
そのあたりから、とにかく目が疲れてどうしようもなくなってきた。
見えにくいからと目を凝らしていると、眉間にしわが寄ってくる。
一生懸命見るから、めちゃくちゃ目の奥が疲れる。
一生懸命見るから、気づくと奥歯をかみしめている。
若いころは眼筋でなんとか像を結んでいたのが、眼筋も衰えてきたために、目の疲れ方が半端じゃなかった。
結構目を細めてモノをみるので、失礼な目つきもしてたんじゃないだろうか。
まあでも、仕方ないか・・・とあきらめていた時に「イノチグラス」という眼鏡の存在を知ることとなった。
「目と体と心を考えた眼鏡」というイノチグラス。
ライフスタイル、色、目の状態をカウンセリングして作成する眼鏡なのだ。
話を聞いた時から、私も体験してみたいと願い続け、この2月にようやく、作成会に参加することができた。
当日は、「目育士」というイノチグラスの調整をしてくださる方に目の状態をみてもらう。
近視、斜位に対応できるプリズムレンズの測定以外に、レンズの色が影響するとのことで、色と体幹の関係、そして何より、どんな生き方をしたいかとライフスタイルにも言及してもらう。
目育士さんは、真剣に私の眼と私の体と気持ちに向き合ってくださり、1時間以上かけてゆっくり調整してくださった。
斜位がひどいと、眼鏡は1本ですまなくて、手元用と中距離用(家で過ごす用)を作成してもらうことになった。
レンズの色は、手元用と中距離用では違ったし、手元用については、左右のレンズの色も違うのだ。
フレームもちょっと個性的なおしゃれなものを選んだ。
2週間ほどして現物が届き、うきうきした気分とともに開封、早速使ってみた。
数時間かけていただけえも、とても楽に物を見ていることに気づいた。
その楽さは身体にも伝わり、いつも首の後ろから肩にかけて痛いのだが、そこが普段より楽になっている。
そして、目の奥が痛くなくなっているのだ。
これが普通にみえる、ということか。
ここ数年の私の目にははじめてに近い経験じゃないだろうか。
それ以来、運転用の眼鏡にも眼科でプリズム調整をしてもらい、自宅ではイノチグラスの中距離用と手元用で過ごしている。
パソコンを見るのもとても楽になったので仕事をしていても肩が凝りにくい。
仕事中の姿勢が良くなった気がする。(これはあくまで「気がする」だけど)
眼がくつろぐ、という初めての経験をして、なんだか何でもできそうな気がした。
漠然と「これからやりたいこと」を考える、イノチグラスはその中で見たいものを見せてくれる、とても大切なパートナーとなってくれるのだろう。
3月1日、母の誕生日に寄せて
コンステレーションを続けてきてよかったと思うことが最近起きた。
母は、現在認知症がかなり進んで、近くの精神科の認知症病棟で入院している。
3月1日は母の誕生日、今年は88歳、米寿なのだ。
コロナが大流行中の現在、お見舞いってか面会もままならないんだけど、今日は面会に行くことができた。
最近はほぼ会話も成立しないので、ほんとに顔見て帰るだけなのだ。
ふと「今日はなんの日か知ってる?誕生日やで」と伝えてみた。
「今日は3月1日やな」と最近にはないくらいキッパリとした返事が返ってきて、妙に嬉しくなる。
うちの母の口癖は「私ばっかり損をしている」だった。
母の兄弟は10人(正確には11人何だが)兄弟姉妹で、母は三女(正確には四女)。
母曰く、兄弟のお世話から祖父母の手伝いから、全部が乗っかってきて私には自由がなかった。兄弟の中で一番世話をしてきた、なのだ。
小さい頃からそれをずっと聞かされてきて、幼い頃は当たり前のようにそれを信じていたが、私がの経験や、叔父叔母の話を聞くと、実際はそうでもなかったと思う。
今思うと、大家族、世の中の不安定さ、生まれ育った時代、そういうものが母をなおのこと不安定にしていたのだろう。
その中で、祖父母(母から見た両親)に認めてもらいたい、愛してもらいたい、という欲求で、自分のことより自分の家族のことより、兄弟祖父母を優先してきたのだろう。
認知症が進んだ現在、母の口から出てくるのは、自分が育った家の話(といっても、○○学区という単語だけ)と私と弟の名前をセットにした単語くらいで、両手で数えられるくらいの言葉しか出てこない。
そして、いつも不安そうだし、誰かに依存したい(てか構ってほしい)という様子を見せてるらしいのだ。
その不安は、母自身が満たされない想いが多すぎることによる不安なんだろう。
そんな状態ではあるものの、かろうじて、私のことは理解してくれてるので、それだけで実は幸せなんだけどね。
その母が、3月1日を覚えていてくれたのが、私にはとても嬉しかった。
認知症初期には、母の依存が苦しかった。
その時に気づいたのだけど、母は「周りに認めてほし」いという気持ちが強かったためか、昔から「周り」の代わりに私に依存しようとしていた。
一方で、私もその期待に応えようとして、「親孝行で母を守る理想の私」を演じていたのだ。それが私には大きすぎる負担だった。
母はもしかしたら、自分と自分の親兄弟以外には関心がなかったのかもしれない、というか、その人たちに認められることが一番の生きがいだったのかもしれない。
私はその役割を求められ、無意識に応えようとしていたことで、私自身を生きづらくしていたと、心のことを学び、コンステレーションを経験してきた現在では感じている。
現在は、たとえ会話が出なくても、母の顔を見ると落ち着くし、たとえ認知症からくる不安があっても、その時のベストだったらそれで良いやん、って思う。
いろんな専門家の手を借りながらの介護だからこそ、こんな呑気に「良いやん」って思えるのではあるんだけどね。
それでも、「何かできることはないか」と模索もしてしまうんだけどね。
もし、私がまだ母の期待に応えようとしていたままだったら、私はこんな素直に「それで良いやん」って思えただろうか。
私がコンステレーションと出会って一番よかった、と感じるのは、母の期待に応えること(祖父母の代わりに母の依存に応えること)をやめて、自分の道を歩き出せたことなのだ。
そして、素直にどんな状態の母でも私の大好きなお母さんだと心から感じられることだ。
お母さん、お誕生日おめでとう。
もう一緒にお墓参りも行けなくなったけど、おじいちゃんおばあちゃんには、私が挨拶行っとくから安心しといてね。
母の記念日に、私と母を親子として繋げてくれたコンステレーションの勉強会のお知らせです。
この3月15日に、京都市国際交流会館にて開催します。
お申し込み、詳細は以下のリンクから
暮らしごと〜さをり織り〜
現在の趣味の一つに「さをり織り」がある。
趣味、というより、これからの暮らしごととして捉えていることだ。
(さをり織りについては、単語をクリックすると説明が出てきます)
友人がさをり織りのサロンを主宰していて、そこで初めて体験したのがちょうど3年前のこと。
写真の日付を見たら、2019年1月30日だった。
初めてのさをりは赤いストール。
無心で布を織り上げる作業は、ちょうど瞑想をしているようだった。
夢中で織り上げて気づいたのだが、ここはこんな色、ここはこんな色と瞬間瞬間の思いで糸を選んで織り上げるので、2度と同じものは作れない、
そして、それがその時のオリジナルなのだ、ということ。
瞑想的であること、オリジナルなことは、私がとても大切にしていることだ。
そして、さをりおりの考え方の中に「失敗はない」というのがある。
糸選びや作品を仕立てる中で、「あぁー、やっちまった」と思うことは多々ある。
が、色は、その時は失敗かなと思ったものも、後になると実に自分らしい色使いをしていることに気づくのだ。
また、さをり織りの生地を仕立てるときはあまりザクザク切らないので、形が気に入らなけば解いて作り直すということもできる、めっちゃ自由度が高いのだ。
この考え方がとても私にフィットしているみたいで、自分の好きなものを自分の自由につくる、ということがさをりにハマった理由の一つだ。
そして、もう一つ、さをり織りにハマった理由。
市販のお手頃な価格のお洋服で、私にフィットする、似合うものがとても少ないのだ。
何を着ても、自分でもうーん、イマイチと思うことが多かったのだけど、さをり織りで作った服を纏うと、やたら褒められることが増えてきた。
好きだから似合うのか、似合うから余計好きになったのかは不明なんだけど。
その上、誰も同じものを着てないのよ。
自分で作ろうとしても二度と同じものが作れないんだもの。
そんなある日、インスタでフォローしている人が、60歳からさをり織りを始められて、現在では個展をされるに至っている、ということを知った。
その方の作品がとても素敵で大好きで、あぁこれからの私の生活の中に、さをり織りがそばにあることが嬉しいな〜と思ったのだ。
これからの自分を考えたとき、自分で作り上げる暮らしをイメージする。
その中の一つとして、さをり織りがいてくれたら嬉しいな、そんな思いを持って作品に取り組んでいる現在なのだ。